日々の是これ

雑記帳

プラユキ先生に会いにいった時のこと

とある病気で身体が動いたり動かなかったりするようになったしまったので、会社を休職することと相成った。

動ける日はむちゃくちゃ動けそうな気になるがお医者さんによると「そういう病気です」とのことで、まあそんなこんなで動けそうな日には主治医に叱られない範囲で動くことにした。

これまたそんなこんなで、前から行ってみたかったプラユキ先生*1の個人面談に精神の保養を兼ねお話を伺いに行った。

いちおうザックリ省略すると以下のような対話がなされた。役に立つ方もいるかもしれないのでシェアしてみる(文責は私:いわもと まおです)

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Q1:アクセプタンスと云うコンセプトについて。

仏教やスピリチュアル系によくある、「現状を受け入れる」というコンセプトがあり、実践していたが、コンセプト通りに頑張っているうちに病気になってしまった。

A:仏教に限らずいろんな教えに対するドグマ的な理解は、結果苦しみを増すことになるよ。そもそも「自分自身」への「苦」に無自覚だったのではない?

多分ドグマで自分を律していたが故に苦しみを抑圧もしくは見ないようにしていたのかもしれないね。

まず自分自身の苦を難しく考えずに、ハートで感じてみよう。いったん「頑張りが足りないんじゃないか?」とか「私がおかしいんじゃないか?」とかは脇に退けて。

私)苦しみがあることを肯定できてなかったかも

A:そうそこなんだよ!苦しみを苦しみとリアルに感じ始めて、そこが苦しみを解決する出発点になるのはもう知ってたよね(四聖諦)

 

Q2:我具足について

無我なんだから自分の傾向を知ることなんて無意味と自らの得意不得意を考えず生きてきましたが、我具足というお話を伺いもう少し自分を知ろうと思うようになりました。

A:自分自身をドグマや概念で括らずに、いろんな「ヒト」や「コト」に出会っていくことで、自分自身が見えてくるよ。ちょっと味見をしてまわるくらいの気楽さで。「予想外」に出会いに行こう。予定調和ではないセレンディピティのなかで「好き嫌い得意不得意」が見えてくるものだよ。

(以上)

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対話の中で無理筋でなく、かつ現実的な指針を先生側からではなく、こちら側が気づく形でうながすような他者の主体性を奪わないカウンセリングは圧巻でしたね。指針と癒しを得て帰宅。

*1 タイ上座部仏教の比丘(お坊さん)